もくじ
自己紹介
このホームページを運営している、ワーママまりです。アメーバブログとツイッターを主に情報発信をしています♪
生い立ち
埼玉県出身です。埼玉の女子高→栃木にある国立大→エン・ジャパン株(一部上場)→都内の高校で広報&英語教員→公的機関(正職員)→不動産のオーナー業と民間でゆる~く広報をしております。
私とお金の因縁
私はお金と切っても切れない仲です。笑
幼少期、父の仕事(自営業)がうまくいかず、借金取りの電話が来ることがありました。
確か、あのときは高校生くらいだったと思うのですが、その時に「うち、相当お金ないんだ」と気づくきっかけになりました。
兄は、12個上で、そもそも、もうずっとまえ、私が小学生くらいの時から大変だったと言っていました。
その時に「自営は危険!!私は大きな会社で安定した正社員にならないと大変なことになる」という気持ちを永遠に引きずる事になります。
私と不動産の因縁
私と不動産も切っては切れない縁でつながっていました。家の祖父は医師をしながら都内のアパートのオーナー
をしていました。親戚もそのような方が多かったと記憶してます。
うちの父は不動産賃貸業をしていないのと、地盤は全く受け継いでいないので、
今の私の不動産の経営はすべてゼロから自分て築いていきました。勉強は3年くらいしていたので・・
幼少期から、散歩に行くと父がよく「この建物の○○㎡あたりの解体費用は・・」「一坪いくら・・」
など話してくれていたのを記憶してます。妊娠中実家に帰ったときも空き家巡りをしたりしてました。
父も不動産がなぜか好きで、私もすきでした。でも、はっきり「好き」と自覚したのは2019年、
仕事も落ち着いて、夫もいて、精神的・金銭的に落ち着いてきたときに、
「自分は何がすきで、どう生きていきたいのだろう?」
と考えるようになったのが大きかったなと今では思います。
あとは、高校3年まで借家に住んでいて、それが私の中で相当ぼろいと思っていて
知人を呼べなかったのも「不動産」にこだわる一つの要因だと考えています。
(高3の時に祖母の家に家族で移り住むことになり増築して綺麗になりました)
子供を産み育てながら感じた「時間のなさ」「このままの人生が続く怖さ」
復帰して異動になりました。今までは法人の担当の補佐的業務だったのですが、
クレーム担当の窓口に移動になったんですよね。
接客は好きでしたし、塾やアルバイト、椿屋珈琲店で働いていたことが
あったので「得意!」とおもっていたのですが、来る層が、言葉を選ばずに書くと
どこにいっても相手にされないような人種のクレームだったこともあり、
「待遇や社会的に高属性と言われていても、ここにいても自分自身生かせない、
若いいま(当時32歳)もっと、自分自身の特性や能力を生かせる職種で働きたい、チャレンジしたい!
と、思うようになりました。
転職活動をしてみたけれど、何か違う。
私は「英語の教員免許」を取得しており、育休中に「保育士の免許」と「高校の公民の免許」
を取得しました。
幼いころのお金に困った記憶から、「なにがあってもすぐに正社員で働ける資格をとっておく」
という事が心の中に刻まれておりました。
営業も経験していたので、転職には困らないのですが、
時短の勤務の職種が少ないんですよね・・
魅力的な職種であっても時短はngだったりと、
それなら、今の会社でいいやと思うことがありました。
☆時短で働らけて
☆自分のやりたい職種で正社員(週3~4)
かつ、、、
☆副業をしたいので副業ok
という職種はほぼないんですよね・・
ずっとやりたかった、そして始めた不動産事業に力を注ぐためにも
週5で働くのは難しく、土日を含めず、平日で1日は自分の事業に力を注ぎたいと
思っていたので、
ホント、まあ、当たり前ですけど希望に沿う会社はない。
でも、たぶんここを妥協したら求めているものは手に入らない・・
大きな決断
若いうちにリスクはとる。リカバリーはできる。
夫と話しあい、私はずっとやりたいと思っていた不動産事業に集中。
あとはちょこちょこ、挑戦したい事業もあったのでそちらを実験的に行うなど、
挑戦の一年にすることにしました。
そして新たに宅建(取りたい)FP(取らなきゃいけない)を取得する必要が
でてきたので、そちらの勉強とHPの立ち上げ、そしてフリーの広報としてお仕事を
受けております。(こっちは実績がなくてもっと増やしたい)
これからについて
不動産(賃貸・売買)を行いつつ、いつかもっと知識を得るために
売買の不動産会社に時短で勤務できればな~と思います
不動産会社は基本ブラック企業なので、求人はたくさんあるのですが、
私個人で行っている不動産の業務がおちついて、完全に回るようになったら・・
と思ってます。
あとはお金についてかなり詳しいので、FPとしても仕事をうけていきたいと
考えてます。(将来的には教育業、発達障害のこどもたちの支援をしたい・・)
以上です。簡単な自己紹介でしたが、
日本はとても恵まれている国だと思います。
多くのことが努力でカバーできますし、餓死することはない。
だからこそ、まずは自分と周りの人を幸せにすることができる、
そしてもっとその輪を広げていきたいと考えています。